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東京高等裁判所 昭和57年(行ケ)64号 判決 1985年3月26日

原告

シーメンス・アクチエンゲゼルシヤフト

被告

特許庁長官

主文

特許庁が昭和56年審判第51号事件について昭和56年10月19日にした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

主文同旨の判決

2  被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和48年9月28日、名称を「エピタキシヤル成長層の製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1972年(昭和47年)9月28日ドイツ連邦共和国においてした特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和48年特許願第110084号)をしたところ、昭和53年10月3日出願公告(特許出願公告昭53―36431号)をされたが、その後特許異議の申立があり、昭和55年7月11日拒絶査定があつたので、同年12月26日審判を請求し、昭和56年審判第51号事件として審理された結果、同年10月19日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年12月2日原告に送達された。なお、出訴期間として3か月を附加された。

2  本願発明の要旨

基板の表面にエピタキシヤル成長半導体層を作るためエピタキシヤル成長させるべき半導体材料を高い温度において溶解した融体を液相で基板表面に接触させ、融体に対して不活性な材料から成る素体により融体を基板表面において薄い層の形にする方法において、融体としてガリウム溶融体を使用しそれが基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態におき、次いで高い温度に加熱して基板材料を融体中に溶解させた後温度を下げて溶解した基板材料を基板表面にエピタキシヤル層として再析出させ、融体の厚さは処理中の基板材料が融体に溶解した後温度を下げて析出する期間中に溶解材料が融体中を拡散によつて進む行程によつて決められる上限と所望の成長層の厚さによつて与えられる下限との間に保つことを特徴とするエピタキシヤル成長層の製造方法。(別紙図面(1)参照)。

3  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

2 昭和45年10月頃発行の同年秋季・第31回応用物理学会学術講演会(同年10月10日から12日まで岡山大学教養部において開催)の講演予稿集(以下「第1引用例」という。)には、基板の表面にエピタキシヤル成長半導体層を作るための液相エピタキシヤル法において、基板にスズ溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度を上げて溶かし込みを行つた後、一定の降温速度で温度を下げて再成長させることを内容とする発明が記載されている(別紙図面(2)参照)。

3 そこで、本願発明と第1引用例記載の発明を比較すると、次の2点で相違することが認められる。

(1)  本願発明にあつては、「融体としてガリウム溶融体を使用しそれが基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態」におくのに対し、第1引用例記載の発明にあつては、温度が500度C程度のスズ溶液を基板にかぶせること、及び、

(2)  本願発明にあつては、「融体に対して不活性な材料から成る素体により融体を基板表面において薄い層の形」にし、「融体の厚さは処理中の基板材料が融体に溶解した後温度を下げて析出する期間中に溶解材料が融体中を拡散によつて進む工程によつて決められる上限と所望の成長層の厚さによつて与えられる下限との間に保」たれるのに対し、第1引用例記載の発明にあつては、融体を基板表面において薄い層にするための素体の使用及び融体の厚さに関して、特別の開示がされていないこと。

よつて、この2点の相違点について以下検討する。

(1) (1)の点について

基板の表面にエピタキシヤル成長半導体層を作るための液相エピタキシヤル法において、融体としてガリウム溶融体を使用することは普通に知られている事項であり、また、本願発明の明細書においても普通に知られている事項として扱われている。したがつて、このガリウム溶融体を第1引用例記載の発明におけるスズ溶液に代えて使用することは、当業技術者が容易に発明することができた融体選択上の問題にとどまるものと認められる。また、融体を「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態」におくことは、ガリウムの物理的性質をスズの物理的性質と比較して勘案するとき、融体としてスズ溶液に代えガリウム溶融体を使用することから生じる結果であると認められる。

(2) (2)の点について

1971年(昭和46年)10月にアメリカ合衆国において発行された「PROCEEDINGS OF THE IEEE」第59巻第10号(以下「第2引用例」という。)には、液相エピタキシヤル法において用いる融体が基板の表面に均一な厚みの膜を形成するよう、基板の表面にある融体をグラフアイト製上板で加圧することが記載されている。そして、第2引用例に示されるグラフアイト製上板は、本願発明における素体に相当するものである。しかして、液相エピタキシヤル法において基板の表面にある融体を均一な厚さにすることは普通に要求されることであるから、この均一性を付与する手段として第2引用例記載のグラフアイト製上板を第1引用例記載の発明に係る液相エピタキシヤル法に用いることは、当業技術者が必要に応じて随意採用することができた均一性付与手段上の問題にとどまると認められる。しかして、本願発明において、融体の厚さを前記のとおり特定したことについて、明細書の発明の詳細な説明に、「エピタキシヤル析出の目的で温度低下が行われる期間中に進みうる拡散路より大であつてはならない。このことは、高い温度において融体中に均一に分布される析出すべき材料が、析出すべき表面からもつとも離れた領域からエピタキシヤル成長すべき表面まで進む十分な時間を持ち、しかもその時間は温度低下の時間内であることを意味する。」と記載されており、この記載からみれば、その厚さに関する特定は、特定された厚さ以上の厚さにしてもエピタキシヤル成長層が効果的に得られないという、通常予測される実施条件を示したにとどまるものと認められる。すなわち、本願発明における融体の厚さの特定は、基板にのせる融体の厚さを均一にすることを実施するうえで当業技術者が適宜定めることであると認める外はない。

4  以上の理由により、本願発明は、第1引用例及び第2引用例記載の各発明に基づき当業技術者が容易に発明をすることができたものであるから、特許を受けることができない。

4  審決を取消すべき事由

第1引用例及び第2引用例に審決認定のとおりの記載があり、本願発明と第1引用例記載の発明との相違点が審決指摘のとおりであることは争わないが、本願発明の特徴は、基板の表面にエピタキシヤル成長半導体層を作るための液相エピタキシヤル法において、ガリウムの融点が低い(約29度C)ことを利用して、融体としてガリウム溶融体を使用し、それが「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態におく構成を採ることにより、その後の加熱処理において基板の表面を雰囲気から保護することにあり、右にいう「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」とは、次の1のとおり、要するに、「ガリウムの融点近傍の温度」を意味するものであるところ、かかる具体的な技術的思想は、次の2のとおり、第1引用例に開示されているところではなく(第2引用例にももちろん開示されていない。)、本願発明と第1引用例記載の発明とでは融体を基板と接触させる温度に顕著な差異があるのに、審決は、審決指摘の相違点(1)についての検討において、誤って、融体を「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態」におくことは、ガリウムの物理的性質をスズの物理的性質と比較して勘案するとき、融体としてスズ溶液に代えガリウム溶融体を使用することから生じる結果であるとした結果、本願発明は、各引用例記載の各発明に基づき当業技術者が容易に発明をすることができたとしたものであるから、いわゆる進歩性の判断に誤りがあり、取消しを免れない。

1 本願発明にいう「基板の半導体材料を溶解する温度(希望するエピタキシヤル成長を得るために必要な溶かし込みが十分かつ有効に行える処理温度を意味する。)よりも十分低い温度」については、特許請求の範囲では具体的な温度の数値は特定されていないが、以下の(1)ないし(3)のような明細書の発明の詳細な説明の記載から、右「十分低い温度」とは、基板の半導体材料を溶解する温度よりも極めて低い温度であつて、基板が雰囲気によつて影響を受けない程度の温度であり、融体としてガリウムを使用する本願発明にあつては、要するに、「ガリウムの融点近傍の温度」を意味するものというべきである。

(1)  「融体の成分がガリウムの場合には、融体が基板と蓋体との間の中間空間にその中間空間が充填されるまで入れられることが有効である。この措置は、ガリウムは既に29℃において液体であるから、検定された注射器により特に定められた方法によつて行なうことができる。」(第7頁第17行ないし第8頁第4行)と記載され、ガリウム融体をその融点付近の29度Cの温度で基板と接触させうることが示されている。

(2)  「その利点は本発明による方法において全体の基板表面が既に加熱の本質的な時期の発端から、ガリウムにおいては既にその融解点29℃から融体によつて覆われることにも特に見られる。従つて本発明による方法において基板の全表面が加熱の間にも雰囲気に対して常に保護される。」(第13頁第8行ないし第14行)と記載され、基板の加熱工程のごく初期からガリウム融体を接触させるものであること、そして、その具体的な温度としてガリウムの融点近傍を選びうること、ガリウムの融点付近から接触させることにより、基板の加熱工程中、雰囲気から基板を有効に保護しうることが示されている。

(3)  「融体31は本発明により基板3の上の薄層として存在する。この実施形式においてはまた第2図による実施形式および更に後述の第4図による実施形式におけるのと同様に、融体31の材料は最初粉末または粒状材料であるかまたは糊状であつてもよく、それは加熱の過程で液相に移る。基板を侵す雰囲気が存在する場合には、薄層の材料が遅くとも基板3の材料にこの雰囲気が有害に作用する時点において液相にあるように適当な選択によつて配慮される。」(第14頁第10行ないし第15頁第1行)と記載され、基板を固体状態の融体材料と接触させること、すなわち、基板を融体の融点より低い温度において融体材料と接触させることにより、基板が雰囲気によつて侵されるのを防止することが示されている。

2 これに対し、以下のとおり、第1引用例には、基板の半導体材料を溶解する温度において初めて融体を基板と面接触させる技術的思想は開示されているが、基板の半導体材料を溶解するには低い温度で融体を基板と面接触させる技術的思想は開示されていない。

(1)  第1引用例(第26頁)には、「図1は温度プロセスを示す。基板に溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行つた後一定の降温速度で温度を下げて再成長させる。」(第11行ないし第13行)、「溶け込みは500℃→520℃、成長は520℃→450℃で行つた。」(第16行、第17行)という記載及び図1から、第1引用例記載の発明における選択液相成長の温度プロセスは、図1の時間温度曲線上の「溶液を基板上にのせる」という点でスズ溶液を基板と接触させ、また、500度Cと520度Cの間で溶かし込みを行うものであると認められる。しかして、このスズ溶液を基板と接触させる温度が何度であるかの具体的な数値についての記載はないが、図1に徴すれば、溶かし込みを開始する時点で溶液を基板と接触させること、すなわち、溶液と基板の接触は、溶かし込みを開始する500度Cで行うことが明らかである。

右のように500度Cという高温度で初めてスズ溶液を基板と接触させるとすると、基板の表面は、それまでの基板の予熱段階において雰囲気に対して露出しており、500度Cまで何ら保護されていないから、その期間に望ましくない不純物が基板表面に侵入するのを防ぐことができない。スズの融点は231.84度Cであるから、この温度で既にスズ溶液を基板と接触させることは可能であるにもかかわらず、それよりはるかに高い500度Cまで接触させないということは、むしろ、第1引用例記載の発明には、積極的に高温度において基板の溶かし込みを行うという技術的思想があつたと考えざるをえない。

(2)  被告は、前記の「基板に溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行つた後一定の降温速度で温度を下げて再成長させる。」という記載に従うと、溶かし込みは、「一定の昇温速度で温度をあげ」る過程で行われることになるのであり、それは、そうでなければ、「一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行」う必要はないからである旨主張するが、第1引用例には、前記のとおり「溶け込みは520℃→520℃…………で行つた。」と記載され、図1には、この500度Cから520度Cに至る範囲が溶かし込みの範囲である旨示されている以上、500度Cは溶かし込み期間の温度の下限値には外ならない。一定の昇温度で温度をあげて溶かし込みを行うのは、溶け込み量を所望の値に調整するためにとられた温度条件であつて、昇温過程の途中において、すなわち、500度Cを超える温度で初めて溶かし込みが始まることを意味するものではない(第1引用例記載の発明におけるように、基板としてヒ化ガリウムを用いる場合、500度Cにおいて既に十分な溶かし込みが行われることは、当業技術者間に周知のことである。)。

第3被告の答弁

1  請求の原因1ないし3の各事実は、認める。

2  請求の原因4の審決を取消すべき事由についての原告の主張は争う。

審決には、原告主張の認定、判断の誤りはなく、違法の点は存しない。

1 本願発明では、特許請求の範囲において、融体を基板と面接触させる温度を「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」としているだけであつて、具体的な温度の特定はされておらず、具体的に何を指すのか不明である。

原告主張の発明の詳細な説明中の記載(前記第2、4 1(2))は、右の「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」すなわちガリウムの融点であることを意味するものではなく、右の「十分低い温度」の一例を示しているにすぎず、原告主張のように右の「十分低い温度」が「ガリウムの融点近傍の温度」に限定されるとする根拠は存しない。

2 一方、第1引用例の「基板に溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行つた後一定の降温速度で温度を下げて再成長させる。」という記載に従うと、溶かし込みは、「一定の昇温速度で温度をあげ」る過程で行われることになる。そうでなければ、「一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行」う必要はないからである。そして、第1引用例記載の発明では、本願発明にいう「基板の半導体材料を溶解する温度」、すなわち、必要なエピタキシヤル成長層を得るに必要な溶かし込みを行うための温度は、520度Cであり、融体を基板と面接触させる温度は500度Cであるから、第1引用例にも、「基板の半導体材料を溶解する温度」「よりも低い温度」で融体を基板と接触させる技術的思想は開示されている。しかも、右520度C、500度Cというのは、それぞれ、「基板の半導体材料を溶解する温度」、融体を基板と面接触させる温度の一例にすぎない。

したがつて、本願発明と第1引用例記載の発明とは、融体を基板と接触させる温度に関して格別の差異がない。

第4証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、請求の原因4の審決を取消すべき事由の存否について判断する。

1 成立に争いのない甲第2号証ないし第5号証によれば、本願発明は、「基板の表面にエピタキシヤル成長半導体層、例えば砒化ガリウム、燐化ガリウムの層を作るための液相エピタキシヤル法であつて、エピタキシヤル成長させるべき半導体材料が基板の表面と接触状態におかれ、この基板上の半導体材料は高い温度において融体に溶かされて存在し、融体は液相の状態で基板の表面と面接触を形成し、液相の融体と接触する表面が融体に対し不活性な材料から成る素体により融体は基板表面において薄い層に形成されるエピタキシヤル成長層の製造方法」(甲第3号証・昭和53年1月13日付手続補正書2)の項)に関するものであり、前記争いのない本願発明の要旨記載の構成からなるものであつて、その特徴は、「融体としてガリウム溶融体を使用しそれが基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態にお」くこと(及び融体の厚さの上限と下限を特定すること)にあるものと認められる。

しかして、右にいう、ガリウム溶融体を基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態におくべき「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」については、本願発明の明細書の特許請求の範囲においてそれ以上の具体的な温度の数値は特定されていないところ、前掲甲第2号証ないし第5号証によれば、発明の詳細な説明には、「本発明に結びついた利点は、これにより技術的に扱いにくい傾動法とそれに必要な装置を節約できることだけにあるのではない。その利点は本発明による方法において全体の基板表面が既に加熱の本質的な時期の発端から、ガリウムにおいては既にその融解点29℃から融体によつて覆われることにも特に見られる。従つて本発明による方法において基板の全表面が加熱の間にも雰囲気に対して常に保護される。」(第13頁第6行ないし第14行)、「融体31は本発明により基板3の上の薄層として存在する。この実施形式においてはまた第2図による実施形式および更に後述の第4図による実施形式におけるのと同様に、融体31の材料は最初粉末または粒状材料であるかまたは糊状であつてもよく、それは加熱の過程で液相に移る。基板を侵す雰囲気が存在する場合には、薄層の材料が遅くとも基板3の材料にこの雰囲気が有害に作用する時点において液相にあるように適当な選択によつて配慮される。」(第14頁第10行ないし第15頁第1行)との各記載があり、本願発明は、加熱の本質的な時期の発端から基板表面をガリウムの融体により覆うことによつて、有害に作用する雰囲気から基板表面を保護することを目的とし、そのとおりの効果を奏するものであることが認められ、これによれば、右「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」とは、必らずしも明確ではない嫌はあるものの、ガリウムの融点近傍の温度に限定されるかどうかはともかく、基板の半導体材料をガリウムの融体に溶解させるべく加熱する初期の段階の十分に低い温度ということができる。すなわち、本願発明においては、この温度でガリウムの融体を基板と接触させるものということができる。

なお、前掲甲第2号証ないし第5号証によれば、前記各発明の詳細な説明中の記載は、いずれも、「本発明による方法の実施のための装置の特別の実施形式もしくは細目を示す」第2図ないし第4図(第10頁下から第10行ないし第8行)に関連した箇所で記述されたものではあるが、「本発明による方法の実施のための装置の特別の実施形式もしくは細目」は、基板の支持体と蓋体(素体)の形式ないし融体を基板表面において薄い層にする方法についてのものであつて、前記各発明の詳細の説明中の記載自体は、実施例限りのものではなく、本願発明そのものの特有の目的、効果を記述したものと認められる。

2 一方、成立に争いのない甲第6号証によれば、第1引用例記載の発明は「n++―GaAsを選択的に成長させる目的で、Sn溶液を用いたGaAsの選択液相成長を行」い、「溶かし込みや再成長の形態のマスク方位依存性をしらべた。」(第26頁第4行ないし第7行)ものであつて、そこには、「図1は温度プロセスを示す。基板に溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行つた後一定の降温速度で温度を下げて再成長させる。溶け込み量、再成長量はそれぞれ7~10μになるような温度条件を選んだ。」(同頁第11行ないし第14行)、「溶け込みは500℃→520℃、成長は520℃→450℃で行つた。」(第16行、第17行)との記載のあることが認められ、これらの記載及び図1を総合すると、第1引用例記載の発明は、基板を加熱し、予熱の段階を経て、500度Cでスズ溶液を基板にかぶせて溶かし込みを始め、一定の昇温速度で温度を上げて520度Cに達した時点で直ちに温度を下げ、450度Cで基板を取り出すまで一定の降温速度で温度を下げながらヒ化ガリウムを再析出(再成長)させるものであることが認められる。したがつて、第1引用例記載の発明は、溶かし込みを始める500度Cでスズ溶液を基板と接触させるもの、換言すれば、加熱を始めて500度Cに達するまでの間基板を雰囲気に対して露出させておくものであり、そもそも、前記のとおり溶かし込みや再成長の形態のマスク方位依存性を調べることが目的であつて、本願発明のように加熱の初期の段階から融体を基板と接触させることによつて雰囲気から基板表面を保護するというような技術的思想は、全く存しない。

被告は、第1引用例の「基板に溶液をかぶせ、一定の昇温速度で温度をあげて溶かし込みを行つた後一定の降温速度で温度を下げて再成長させる。」という記載に従うと、溶かし込みは、「一定の昇温速度で温度をあげ」る過程で行われることになり、そして、第1引用例記載の発明では、本願発明にいう「基板の半導体材料を溶解する温度」、すなわち、必要なエピタキシヤル成長層を得るに必要な溶かし込みを行うための温度は、520度Cであり、融体を基板と面接触させる温度は500度Cであるから、第1引用例にも、「基板の半導体材料を溶解する温度」「よりも低い温度」で融体を基板と接触させる技術的思想は開示されている旨主張するが、第1引用例の前記「溶け込みは、500℃→520℃………で行つた。」との記載及び図1並びに本件口頭弁論の全趣旨によれば、基板としてヒ化ガリウムを用いる場合、500度Cにおいて既に溶かし込みが行われることが認められること、前記「溶け込み量、再成長量はそれぞれ7~10μになるような温度条件を選んだ。」との記載によれば、温度を520度Cまで上げるのは、溶け込み量を調節するための温度条件であると推測されることを併せ考えると、温度を上げる途中において、すなわち、500度Cを超える温度で初めて溶かし込みが始まるものというのは当を得ず、500度Cでスズ溶液を基板と接触させる(基板にかぶせる)と同時に溶かし込みが始まるというべきであるし、更に、右に説示したところから、500度Cから520度Cまでの間に溶かし込みが行われることが明らかであり、しかも、図1によれば、最高温度の520度Cの状態を継続することなく、520度Cに達すれば直ちに温度を下げて再析出させていることに照らすと、第1引用例記載の発明において、本願発明にいう「基板の半導体材料を溶解する温度」に相当するのは、520度Cではなく、500度Cから520度Cまでの温度というべきであるから、到底、第1引用例には、「基板の半導体材料を溶解する温度」「よりも低い温度」で融体を基板と接触させる技術的思想が開示されているということはできず、したがつて、右被告の主張は採用しえない(右のような技術的思想が開示されているといえない以上、520度C、500度Cというのは、それぞれ、「基板の半導体材料を溶解する温度」、融体を基板と面接触させる温度の一例にすぎない、との被告の主張も、前提を欠き、失当である。)。

3  以上によれば、本願発明は、その特許請求の範囲の「基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度」という記載が必らずしも明確でなく、不適切の嫌があるとはいうものの、雰囲気から基板表面を保護するべく、加熱の初期の段階の十分に低い温度で融体(ガリウム溶融体)を基板と接触させるものであるのに対し、第1引用例記載の発明は、加熱をして溶かし込みを始める温度になつて初めて融体(スズ溶液)を基板と接触させるものであつて、そこには、本願発明の右のような技術的思想は全く存しないから、本願発明と第1引用例記載の発明とでは、融体を基板と接触させる温度に差異があり、本願発明における右のような融体を基板と接触させる温度についての技術的思想は、第1引用例に開示ないし示唆されているところでないのはもちろんのこと、第1引用例の記載から容易に想到しうるものでもないといわなければならない。

しかるに、審決は、審決指摘の相違点(1)について、単に、「融体を『基板の半導体材料を溶解する温度よりも十分低い温度で基板の表面の少なくとも一部と面接触する状態』におくことは、ガリウムの物理的性質をスズの物理的性質と比較して勘案するとき、融体としてスズ溶液に代えガリウム溶融体を使用することから生じる結果であると認められる。」として、前記差異を看過誤認し、その結果、本願発明は、第1引用例及び第2引用例記載の各発明に基づき当業技術者が容易に発明をすることができたものであるとしたものであるから、本願発明についての特許出願は審決の示す理由によつては拒絶することができないというべく、審決は違法として取消しを免れない。

3  よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(秋吉稔弘 竹田稔 水野武)

<以下省略>

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